
モンスターのまま生きるか、善人として死ぬか。
ラストは目が離せません!
基本情報
| 原題名 | Shutter Island |
| 制作国 | アメリカ |
| 制作年度 | 2010年 |
| 上映時間 | 2時間18分 |
| 監督 | マーティン・スコセッシ |
あらすじ
1954年、連邦保安官のテディ・ダニエルズは、精神病院がある孤島・シャッターアイランドで起きた女性患者の失踪事件を捜査するため、相棒チャックと共に島を訪れる。
しかし、捜査を進めるうちに、テディは病院が患者に対して非人道的な実験を行っているのではないかと疑い始める。
登場人物とキャスト
| テディ・ダニエルズ [連邦保安官] 演:レオナルド・ディカプリオ 生年月日 1974年11月11日 |
| チャック・オール [テディの相棒] 演:マーク・ラファロ 生年月日 1967年11月22日 |
| ジョン・コーリー [アッシュクリフ精神病院の院長] 演:ベン・キングズレー 生年月日 1943年12月31日 |
| ドロレス・チャナル [テディの妻] 演:ミシェル・ウィリアムズ 生年月日 1980年9月9日 |
感想(ネタバレなし)
連邦保安官テディ・ダニエルズは、孤島・シャッターアイランドで姿を消した女性患者を捜査することになります。
しかし、シャッターアイランドにはある秘密が・・・。
見終わった後に、もう一度見たくなる作品です。
伏線や細部を確認したくなること間違いなし。
主人公だけでなく、観客もだまされる展開が待ち受けています。
一度入ったら出られない島に、足を踏み入れようではありませんか。
感想(ネタバレあり)
アナグラム
「シャッターアイランド」は、アナグラムが重要な伏線として使用されています。
まず映画のタイトルである「Shutter Island」
並べ替えると「Truths and Lies」(真実と嘘)
そして、主人公の名前である「Edward (Teddy)Daniels」(エドワード・ダニエルズ)を並べ替えると、「Andrew Laddis」(アンドリュー・レディス)
主人公の名前はテディではなく、アンドリューという仕掛け。
失踪した女性患者の名前「Rachel Solando」(レイチェル・ソランドー」を並べ替えると、テディの妻の名前「Dolores Chanal」(ドロレス・チャナル」になります。
欧米映画は、人物名やタイトル、地名などにアナグラムを多用する作品が少なくありません。
なぜなら、アルファベットは文字を並べ替えて別の単語を作りやすいからです。(日本語の場合は難しい)
文字遊びが文化として根付いているのが面白い。
皆さん、演技がうますぎます
映画の結末には、まんまと一杯食わされました。
皆さん、演技がうますぎませんか?
コーリー院長も、チャックも、警備員も、看護師も、患者も、テディのお遊びに付き合っていただけだったとは!
もう一度見直してみると、確かに腑に落ちるシーンが多々ありました。

① テディとチャックが船着き場に着くと、銃を持った警官だらけ。
実はテディを警戒していた!
テディ「ピリピリしているようだ」
副隊長「そういう状況でね」(副隊長の心の中→おまえのせいだよ!)

② 拳銃のホルスターの扱いがぎこちないチャック。
チャックは本当は連邦保安官じゃないから。
副隊長が露骨にあきれた顔をしています。(副隊長の心の中→先生、しっかりしてくれよ)

③ 掃除をしている男性患者が、テディに手を振る。
テディとは顔見知りなので、おもわず手を振ってしまった。

④ 女性患者が指を口に当てて、「静かに」というジェスチャーをする。
これは、テディが患者であることを口止めされていたことを示している?

⑤ コーリー院長が、失踪した女性患者レイチェルについてテディに説明するシーン。
院長「レイチェルは我々に役を振り当て、虚構の世界を創っている」
テディ「彼女は現実に目覚めないんですか?こういう施設にいることを、いつかは気づくはずだ」
院長「人間は思い込みを正せないのだ」(院長の心の中→テディ・・・君のことだよ。気づいてくれ)

⑥ 口をすべらす女性看護師
「シーアン先生」の名前をうっかり出してしまう看護師。(看護師の心の中→しまった!)
平静を装うチャック。(チャックの心の中→おいおい、かんべんしてくれよ)
「今朝のフェリーで立ってしまった。休暇で」とナイスフォローする院長(院長の心の中→やれやれ、何とかごまかせた)

⑦ ジョージ・ノリスとの会話
テディはC棟にいる患者ジョージ・ノリスと話をします。
その際、ノリスはテディに「お前のために仕組まれたゲームだ」と言い放ちます。
思いっきりネタバレしてますやん。
けれど、テディと観客は、別の意味にとらえてしまいます。

⑧ 警備隊長の言葉
「神の贈り物を楽しんだか?」と、テディに言い放つ警備隊長。
元々この茶番劇には反対だった警備隊長の、最上級の嫌味。
しかし、テディと観客は、全く気づかず。
こう見ると、数々の伏線が散りばめられていたことに気づきます。
二度見ることで新たな発見があり、何度でも楽しめる作品でした。
ミセス・カーンズとは何者なのか?
テディとチャックは、患者のミセス・カーンズから話を聞きます。
初めて見た時は、彼女を本物の患者だと思っていました。
しかし、もう一度見返してみると、違和感を感じたのです。
もしかすると、彼女は患者ではなく、看護師だったのではないか?
なぜなら、彼女は精神病を患っているようには全く見えなかったからです。
テディも「あなたはまともに見える」と言っていました。
失踪したレイチェル・ソランドーは、実は看護師が演じていたことが判明します。
ということは、ミセス・カーンズも患者を演じていたのではないかと思ったのです。
ミセス・カーンズはチャックが席を外した際に、テディの手帳に「逃げて」と書き込みます。
これは一体どういうことなのか?
思わせぶりなことを書けと院長に指示されたのか?
結局、彼女の正体が明かされることはなく、最後まで分からずじまいでした。
怪物として生きるか、いい人間として死ぬか
コーリー院長とシーアン医師は、敬意をもって患者の話に耳を貸せば、相手の心に到達できるという考えを持った進歩派でした。
しかし、理事会は暴力的な患者であるアンドリュー・レディスに対して、外科処置(ロボトミー手術)を推進する保守派だったのです。
そこで院長は、アンドリューの妄想を現実にする計画を立てます。
そうすれば、現実との矛盾に直面して、正気に戻ってくれるのではないかと考えたのです。
しかし、その試みは失敗。
アンドリューはロボトミー手術を受けることになります。
けれど、ラストでアンドリューがシーアンに発した「モンスターのまま生きるか、善人として死ぬか」という言葉から、実はアンドリューがすでに正気を取り戻していたことが判明します。
モンスターのまま生きる=3人の我が子を溺死させた妻ドロレスを、自らの手で殺した男として生きる。
善人として死ぬ=人格を失い、耐えがたい記憶から解放されることを望む。
後者を選んだアンドリューの、とても悲しいラストでした。
総評
原作には、「モンスターのまま生きるか、善人として死ぬか」という言葉はありません。
テディは「ここから抜け出す方法を考えないと」とチャックに言います。
つまり、再び正気を失っているのです。
観客に考察の余地を与えるという点では、映画版のラストの方が面白いのではないでしょうか。
